柏崎和久
株式会社I.T.I. 代表取締役社長

2026/
01/13

――私たちは、何を最適化しようとしているのか
日本の電力システム改革は、いま大きな岐路に立っている。
東日本大震災を契機に始まったこの改革は、
地域独占・垂直一貫という従来モデルを解体し、
発電・小売の自由化、送配電の法的分離、市場取引の高度化を進めてきた。
競争原理の導入。
選択肢の拡大。
効率化による料金抑制。
これらは、確かに一つの「成果」だった。
しかし同時に、
私は拭いきれない違和感を抱いている。
それは、
私たちは本当に「電力」という存在を理解した上で改革してきたのか
という問いである。
近年のエネルギー業界では、
電力は急速に“金融の言語”へと翻訳されてきた。
JEPX、容量市場、需給調整市場、非化石価値取引、カーボンクレジット。
再エネ、蓄電池、VPPは「新たな資産」として定義され、
1kWhは、時間とリスクを内包した金融商品として扱われる。
この流れは、ある意味で必然だ。
市場を通じて最適化しなければ、
複雑化するエネルギーシステムは回らない。
しかし、ここで立ち止まって考えたい。
電力とは、本当に他の商品と同じなのだろうか。
電力が止まると、
生活が止まり、医療が止まり、通信が止まる。
有事には、人命に直結する。
金融の失敗は「損失」で済むかもしれない。
だが、エネルギーの失敗は「生存の危機」になる。
この違いを、
私たちは十分に意識してきただろうか。
電力システム改革では、
「安定供給」が重要な目的として掲げられてきた。
だがその中身は、
需給調整力、市場設計、価格シグナルといった
制度と金融の話に収斂していないだろうか。
本来の安定供給とは、
・有事でも止まらないこと
・外部環境に過度に依存しないこと
・自国・地域で制御可能であること
そうした安全保障の概念と不可分のはずだ。
エネルギーは、
国家の背骨であり、地域の生命線である。
それを市場メカニズムだけに委ねてよいのか。
この問いは、決して過去のものではない。
エネルギー政策を巡る議論は、
しばしば「原発か、再エネか」という二項対立に陥る。
だが現実は、そんなに単純ではない。
・原発は、長期的なベースロードと技術継承の問題
・再エネは、分散化と地域自立の可能性
・火力は、移行期に不可欠な調整力
どれかを「善」、どれかを「悪」と断じるのではなく、
何を守るのかから逆算する現実主義が必要だ。
エネルギー政策は、
思想を競う場ではなく、
生き延びるための選択である。
もう一つ、気になることがある。
電力システム改革の議論には、
人間の姿がほとんど見えない。
需要家は「価格で動く存在」として扱われ、
選択肢が増えれば、それで良いとされる。
しかし人間は、
ただ安い電気を求めているわけではない。
・安心したい
・支配されたくない
・自分たちの暮らしを、自分たちで守りたい
エネルギーとは、
人間の欲求の写し鏡であり、
社会や文明の拡張装置でもある。
この視点を欠いた改革は、
どこか空虚に感じられる。
私はいま、
「電力システム改革をやめるべきだ」と言いたいのではない。
むしろ逆だ。
市場化も、金融化も、技術革新も、
現実として受け止めなければならない。
ただし問いたいのは、これである。
それらは、何に従属すべきなのか。
市場が主語になっていないか。
金融が目的化していないか。
電力を、
「売買の対象」から
「生きるための基盤」へと、
もう一度主語を戻す必要があるのではないか。
その一つの答えが、
マイクログリッドに代表される「地域主権型エネルギー」だと、私は考えている。
・平時は市場とつながり
・有事は自立する
・地域で電源と意思決定を持つ
これは技術の話ではない。
価値観の実装である。
電力システム改革は、
一つの時代を前に進めた。
そして今、
私たちはその「先」を問われている。
何を最適化するのか。
何を守るのか。
そのために、市場とどう向き合うのか。
この問いから目を逸らさないこと。
それこそが、
「ポスト電力システム改革」の出発点なのだと思う。